(社長インタビュー)アズテックの創業から今後について

2024.01.01 | 調査コラム

本記事は、執筆時に調査した内容を元に掲載しております。最新情報とは一部異なる可能性もございますので、ご注意ください。

1. はじめに

 アズテック株式会社は2024年の6月に創業34周年を迎えます。
35周年の節目を目前に、多くの皆様にアズテックの事を知っていただければと思い、代表の小倉社長にアズテックの創業から今後について話を伺いました。

<アズテック株式会社 代表取締役社長 小倉 正二>

2. 創業のきっかけ

・どういった経緯でアズテック創業に至ったのでしょうか?

起業する前、12年ほど弁理士資格を取るための勉強をしながら開発研究所の特許担当をしていました。
そんな中で、ある時某電機メーカーが半導体での実用新案を権利行使したことがきっかけで、今までの「技術を保護する」知財の動きが、「攻めるものは攻める」動きに変化しました。その「攻める・守る」の2つの動きが当たり前になり、各企業が特許調査に力を入れる様になりました。その流れに着目して、特許調査専門の会社を起業しようと考えました。
あのまま独立せず仕事をしていたら、数年後には弁理士試験に合格していたかもしれないけれど、こちらの方がすごいビジネスになると思っていました。

・起業するという考えは昔からあったのでしょうか?

学生時代から常に考えていました。
私の出身大学には、中小企業の社長を親に持つ人が多かったので、友人の自宅を訪れた時に、その社長たちに会ってみると、ダジャレを言ったりするような面白い人ばかりでした。
大企業の社長になるためには国立大学を卒業しなきゃ、とか色々考えて自分にブレーキをかけてしまうけれど、中小企業の社長たちに出会って、これなら自分でもやれるんじゃないかと、社会人になる前から独立を考えていました。

・なぜ調査会社を選んだのでしょうか?

ずっと調査会社をやりたいと考えていたわけではなく、社会人当初は技術屋さんでの起業を考えていました。
私が卒業した大学の精密機械工学科は、カリキュラムが電気と機械、半々でした。
一般的には、機械工学科は機械、電気工学科は電気に関するカリキュラムですが、精密機械工学科は電気と機械半々だったのが珍しく、私にとって非常に魅力的であり、強みでした。
併せて大学3、4年の時にソフトウェアの夜学にも通い学んでいました。
そのおかげもあってか、最初に入った会社で開発設計関係のセクションに配属されました。そこで新人なのに社長直轄テーマを与えられて、かなりの長時間労働も乗り越えながら重要な開発をしていました。実力も自信もついたので、そういった開発に関わる将来も考えていましたが、ある時、知財の存在に気が付きました。
知的財産権に関しては、学校では教わりませんでしたが、メーカーの従業員としては当時から当たり前の制度でした。
入社3年目に公開制度が出来て、企業の特許調査が増えた事を手掛かりに、そこで初めて特許調査の魅力に気付きました。そこから知財関係の仕事を起業したい、というのは漠然とイメージしていました。

3. 創業当初の仕事

・会社の創業は順調でしたか?

起業する直前に勤めていた事業部の人達が私の特許調査の能力を認めてくれていたので、創業当初から7年くらい、主にその企業が調査業務を依頼してくれていました。そのうち、他の会社からも依頼が来るようになってきました。
加えて、不動産収入もあったので、それに助けられた部分もあります。

<創業時の小倉社長>

・「アズテック」という社名の由来はどこから来ているのでしょうか?

アズテックのウェブサイトにも載せていますが、世界の産業へ貢献するためにはどのようなご依頼にも対応していく、という願いを込め「A to Z」×「technology」→「aztec/アズテック」と2つの意図で名付けました。
そこに加えて、実は、創立当初の地が麻布台(Azabudai)だったということも由来になっています。

・これまでに苦労された事はありましたか?

創業1年後くらいにバブルが弾けて、起業早々、本当に倒産するかと思いました。運良く色々切り替えながら乗り越えたのですが、それ以上に大変だったのがリーマンショックでした。
その影響で、その年の4月から6月は全然依頼が来ませんでした。
社員の給与も払えないかもしれないと、当時は本当に眠れないほどでした。
あの時初めて社員の給与をカットせざるを得なくなり、断腸の思いで実行しました。それでも7月頃から少しずつ依頼が戻ってきた結果、前年度と比べて数万円程度売上が違うだけで済み、カットした分の社員の給与は後から全額補填する事が出来ました。
後にも先にも給与カットはその1回のみです。本当に悔しく申し訳ない思いをしましたので、もう二度とこんな事は起こさないと心に誓いました。

・起業当初は何人くらいの規模だったのでしょうか?

創業当初は2人。そこから事務職を増やして、麻布台にいた4年くらいは3人でやっていました。
更に人形町に移転してから、前職の同僚が退職するタイミングでうちに来てくれたりしながら新たに何人か増員しました。
能力のある人が多く来てくれたおかげもあって、調査依頼のボリュームが急に増え始めたので、そのあとは一気にまとめて採用するようになりました。やはり企業の成長にとって人を増やしていく事は大切だなと思います。

4. 今後のアズテック

・今後のアズテックのビジョンを教えてください。

まずは、この業界でのナンバーワンを狙う事です。
調査員が多いと色々な経験や能力を持った人材がいるため、顧客からの目線でも安心して依頼が出せます。企業規模は非常に大事だと考えているので、アズテックもいずれ数百人規模の専門業者としての組織にしないといけないと思っています。
それから、企業理念として「世界の産業の発展に知財を通して貢献する」と掲げていますが、まだ海外には手を出せていません。国内だけでなく、世界的な企業を相手にするために、拠点も増やしたいと思います。
アメリカやイギリスにも拠点があれば、24時間ずっと調査出来るので納期も短く出来るし、言語障壁もなくなります。世界の通信環境も良くなったので、どこでもお客様とネット上でのやりとりもできます。
そういったところまで調査分析業務を広めていきたいと思っています。

・アズテックの社員に伝えたい事はありますか?

この会社が働きやすいと思って残ってくれた人が今仕事をしてくれていますが、現在、非常に優秀な人材が集まっています。IPCC主催の特許検索競技大会で最優秀賞を受賞したり(2019年 橋間 渉2022年 工藤 真未)、顧客から高い評価を得たり、調査能力の高い会社になってきました。
今後も職場環境や給与等、今よりもっと拡大して、企業水準を上げていきたいです。それが社員にとって一番大事な事だと思っています。

・貴重なお話を聞かせて頂き、ありがとうございました。

5. さいごに

 今回、創業前・創業時の知らなかった話を伺う事が出来、とても貴重な機会となりました。
 皆様にも小倉社長の話を通じてアズテックがどんな会社なのか知っていただけたのではないでしょうか。
 非常に前向きで、何事にも興味を持ち、常にチャレンジしていくエネルギッシュな小倉社長。
 社長が描く今後のアズテックの発展に向け、私たちも様々な面で貢献出来るよう、尽力していきたいと改めて思いました。

総務管理部 橋間(真)・久光

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